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ニックネーム
末松五朗
性別 男性 世代 70~ |
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2009年01月
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名古屋市政資料館
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文化のみちを歩く [掲載日時:2008-11-14 13:56:33] |
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| 今年も11月3日(文化の日)に、名古屋市東区白壁界隈の明治・大正時代からの由緒ある建物を尋ねたり、塀と門の連なる道を散策したりする「文化のみち」イベントが催されました。私の知人も多く参加しているボランティアの方たちの尽力で、年毎に、盛大な催しになっています。多くの方は、この名古屋市政資料館を出発点に、散策を開始します。市政資料館は、大正時代に、名古屋控訴院・地方裁判所として建てられたもので、ネオ・バロック建築の装飾が多い、華やかな姿が、今も周りを圧して居ります。 |
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| [更新日時:2008-11-14 11:09:15] |
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「文化のみち」を散策する1(塀のある町)
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文化のみちを歩く [掲載日時:2008-11-06 09:35:21] |
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今年も11月3日「文化の日」には、ここ名古屋市東区の白壁・主税町・撞木町辺りは、景観を眺めながら散策する「文化のみち」イベントで賑わいました。この辺りは、江戸時代には中級武士の屋敷が建ち並び、明治に入ると、名古屋の実業界の先人たちが多く居住する地域に変わって来ました。今を時めくトヨタの豊田家の面々、ソニーの創業者・盛田氏の家などもあり、川上貞奴邸もありました。現在もその雰囲気が色濃く残っており、名古屋市も「景観地区」に指定して、塀や門扉が建築条件になっています。しかし、時の流れは速く、最近は屋敷を利用したレストランが生まれたり、広い敷地を使って数多くのマンションが建てられるなど、その景色も大きく変わりつつあります。私も、このイベントに参加して、辺りを自転車で一巡しました。これを機会に、私の目で見た「文化のみち」の景色をペン画で挑戦して見たいと思います。
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| [更新日時:2008-11-14 06:48:27] |
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名大法学部第一講義室(旧第六連隊将校集会所)
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その他 [掲載日時:2008-10-28 16:52:23] |
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名古屋城二の丸庭園の近くに、大講義室がありました。今の学舎は、大きな講義室では、講義が聴き易いように階段教室になっていますが、この教室にそんな設備はありません。でも、一学年80名の小さな学部ですし、教壇が高かったので、うしろの方に座っていても、先生の姿は充分見ることができました。大学生も大量生産の時代ではありませんでした。古き良き時代でした。
本来、実体産業の潤滑油的な役割である筈の金融関係が独走し、カネがカネを生むバブル現象を引き起こし、それが行き詰まって、世界的な株や証券の大暴落を引き起こし、大不況に突入しようとしています。年金生活者にとっては、先行き、不安が一杯です。でも、既に現役は隠退、静まり返って、身動きしないようにしているしか手はなさそうです。
もっと人間的な暖かみのある、そして先に希望が持てる世の中にしたいものです。 |
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| [更新日時:2008-10-28 14:08:11] |
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名大法学部(旧第六連隊兵舎跡)
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その他 [掲載日時:2008-10-05 16:34:39] |
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この絵も、白黒写真を基に、記憶をたどりながら、色をつけて見ました。
私たちが学生であった頃の名古屋大学は、いわゆる蛸の足大学で、本部と法学部・教育学部・文学部は、旧陸軍歩兵第六連隊兵舎跡を仮学舎にしていました。勿論、今のような冷暖房設備はなく、冬は石炭を使っただるまストーブで、手の空いた者が石炭を放り込んでおり、夏は天井の扇風機だけでした。でも、グランドだけは広大でした。練兵場の跡だから広いのも当然でしょう。そこで、ソフトボールなどをした記憶が鮮明に残っています。日本全体が、貧しいけれども、先に明るさを感じていた時代でした。 |
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| [更新日時:2008-10-05 13:52:47] |
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名大教養部(旧八高)校舎
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その他 [掲載日時:2008-09-30 11:22:12] |
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| 大学同期の公的・私的グループのお世話をしています。その連絡用便箋に、アレンジして使用したいと思い、描いて見ました。今では、付属病院や幾つかの研究所、実験農場などの他は、東山地区に集結していますが、私たちが学んだ頃は、まだいろいろな施設を利用した仮校舎でした。教養部は、旧制第八高等学校の校舎、法学部は陸軍歩兵第6連隊の兵舎を使用していました。今は既に取り壊され、白黒写真が残っているのみです。このスケッチは、ペンで描き、クレヨンで色付して見ました。後、2~3枚、描いてみようと思っています。 |
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| [更新日時:2008-09-30 08:41:19] |
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